Egregi signori, Malinconia italiana.
【本館】(WordPress)をカップ麺の特化型ブログとし、こちらを雑記ブログとして【別館】にリニューアルしたことから、読み手の層は随分と絞られたことだろう。
今現在のアクセス層は、大半が “常連さん” なのではないだろうか。どのような経路を通じて、このページに辿り着いたのか‥【別館】には本気のアクセス解析ソフトを導入していないため、その詳細について私は把握していないが、おそらく今現在は「ランキングサイト」と「ブログサークル」から辿り着いたユーザーが大半だろう。
私は、「ブログサークル」というブロガー*1 専用のSNS*2 に登録している。
“彼女” と知り合ったのは、そのブログサークル内だった。私の入会日は2016年04月26日、彼女の入会日は2017年11月11日。なんだ、そんなに最近だったのか‥
*1 ブログで記事を書いている人、ブログの作者(著者)
*2 ソーシャル・ネットワーキング・サービス
国境
いったい、どのようにして会話が始まったのか、残念ながら “まったく” 覚えていない。おそらく弁えを知らない私のことだ、こちらから不躾な態度でコメント欄に飛び込んだのだろう。
冒頭でも触れたように、彼女の入会日は2017年11月11日。つまり、まだ我々の会話が始まってから半年経つか経たないかの計算になる。おかしい‥いや、必然だろうか。もう何年も前から知っているような感覚だ‥
彼女は、イタリアのローマに住んでいる。不思議なことに、なぜか国境を感じない。他にも海外在住のブロガーが多く登録しているSNSなのだが、誰も国境を感じさせない。それはおそらく、そこが仮想空間であることと、日本語の為せる業なのだろう。
文字(言の葉)
彼女と実際の面識はなく、文字だけの遣り取りだ。
元CAという肩書きを持ち、記事に目を通せば素人目にも分かる、細部にわたって配慮の行き届いた言葉が並び、それが綿密な計算の上で成り立っている。一見すると、かなり神経質で格式張ったブログだ。
主に使われている口語は、私が普段の記事で使っているような「敬体」(です・ます調)ではなく、この記事で使っているような「常体」(だ・である調)だ。ここまで読み進めただけでも分かるように、常体には “覇気” が宿る。それと同時に、ある種の取り付き難さを感じることだろう。
彼女は、言葉に拘(こだわ)る。流れるような文字に覇気を宿し、内容には自らの価値観を嫌味なく重ね、そこにはプライドの類いが滲み出ていた。そう、 “俺の苦手な” タイプ‥の、はずだった。(最近、このパターンが多い‥)
先にも触れたように、私は彼女との出会いを覚えていない。もちろん最初は敬語で会話を重ねていたが、徐々に砕けた話し口調に変わり(そうしてくれと頼んだのは私だが)、いつしか毎日のように互いのブログを行き来するようになっていた。彼女は私の書く文章が好きだと言ってくれ、いつも褒めてくれる。それも、拾ってほしいポイントを的確に、寸分の狂いもなく打ち抜いてくるのだ。正直、時に恐ろしくもなる。
どんくさ‥
そう‥素敵なことに、彼女はドジなのだ。細部にまで配慮が行き届いている文章ではあるのだが、実は小さなミス(誤字脱字)も多い。完璧主義に思える文面とは相反する、とても愛嬌のある一面だ。それも、文章だけでなく、実は俗に言う “天然” だった。
しかし、これに気が付いたのは、すぐにではなない。こんなにも大きなギャップに気が付いたのは、不覚にも何度か会話を重ねた後だったのだ‥
ただただ、不覚‥このような “裏” を読み取るのが私の得意分野であるにもかかわらず、しばらくの間、彼女は私の見解を “難なく欺いていた” のだ。元CAの為せる業なのか、それとも意識して演じていたのか‥いや、今では無意識だったと思える。もし無意識だったのであれば、それは酷く私を恐怖に陥れる事実だ。(だぶん、無意識だろう‥)
おそらく、その片鱗が垣間見えた頃から、話し口調でコメントしてほしいと私から頼んだのだろう。彼女は言葉に拘っていたので、すぐさま敬語調は崩せないと思っていた。しかし、あっさりと受け入れ、そのほうが話しやすいとまで言ってくれた。おい、どうなっている‥
いったい彼女が何者なのか、その根底を引き摺り出してやろうと思ったのだ。すると、どうだろう‥面白いほどにボロが出るではないか!あの緻密で洗練されたブログからは想像もできない、思わずクスりと笑ってしまうような天然エピソードの数々。とても家庭的で敷居が低く、今までの緊張は何だったのかと思わされた。つまり、またこのギャップに恐怖したのは言うまでもない。
まるで自分とは共通点が無いと思っていたのに、所々に共感できるポイントがあった。食への拘りも強く、対極のブログを運営している私との食に対する共通点まで見えてきた。
Celery・Calotte
いつの日か、互いを野菜の名前で呼ぶようになった。どうだろう、この時点でシュールな光景ではないか。自分で書いておいて変な話だが、今こうして「互いを野菜の名前で呼ぶようになった」などという台詞を見て、その滑稽さに口角が上がる。
なぜ「セロリ」と「キャロット」なのか、それには何のトリックもない、私はセロリに依存していて、彼女はニンジンに依存しているから、それだけの話だ。それについて書き始めると長くなるため、各自でテキトーに想像を膨らませてもらいたい。
それを踏まえての話なのだが‥
野菜は裏切らない
残念ならが、詳細な日にちまで覚えていない。なぜ、この言葉を与えてくれたのかも‥しかし、たしか私が酷く落ち込んでいる時だった、という記憶はある。
話題は食事についての‥いや、私はブログで「カップ麺」を取り扱っているので、必然ではあるのだが‥我々は野菜が好きだ。食事をする際、どこかに野菜がないと落ち着きを無くす。おそらく、そういった人は多いだろう。ただ、彼女の場合、私と同じく “不安になる” どころではないはずだ。少なくとも私は、よほどの措置が講じられていない限り、おそらくパニックに陥ってしまうだろう。
そのような拘りを理解した上で、おそらく “その言葉” をコメント欄に “置いて” くれたのだと思う。そう、決して投げ掛けてきたのではない‥洗練された立ち居振る舞いで音もなく屈み、そっと “置いて” いったのだ。
「野菜は裏切らない」
つまり、 “そういうこと” だろうと解釈して、なんの疑いもなく確信した。
そんな彼女が昨日、私のコメント欄に「(心が荒んだ状態で)帰って来た私に」という一文を残して去ったのだ。ここ数日、かなりハードな生活を送っていたので、おそらく疲れが出たのだろう‥と、私は思っていたのだが‥
やはり、何かあったのかと気になった。そんな蟠(わだかま)りを抱きつつ彼女のブログに足を運ぶと、意味深なタイトルの記事が上がっている。
まだ記事を開いてもいないのに、鼓動の間隔が急激に狭く‥そして、力強く打ち始める‥こういった感覚に私が陥いっている場合、ろくなことがない。そして、案の定‥そこには “彼女のブログが否定されていた” 事実が記されていた。
そして、悲しいかな続け様に私の勘は当たる。
24h
ブログサークルには、「トークルーム」というページがある。お互いにメッセージを送り、一般のユーザーには秘匿の会話を行える場所だ。私は普段、そのページを1週間に1度しか開かない。他に優先すべきことが多く、手が回らないからだ。
しかし、急激な鼓動の高鳴りが示していた先は、彼女の記事ではなく、トークルームの中で埋もれていた彼女の “私信” に対してだった‥
送信された日付を記す欄には、 “1日前” という文字‥
「しまった‥‥!!!!」
すぐさま私は全身に鳥肌が立つのを感じ、その重大なミスを犯してしまったことを激しく悔いた。
以前、 “時間は平等ではない” と書いたことがあるのだが、あくまでも感覚的なものであり、例外なく誰しもに “1日24時間を生きる権利” が与えられている。しかし、その体感的な差は激しい。こんなところでカップ麺の話題など出したくもないのだが、例の「3分間」がアッという間だと感じることもあれば、異様に長く感じる時もあるだろう。
彼女の性格だ、そう簡単に命を投げ出したりはしないだろう。しかし、それが生死に関わるほど追い込まれていた場合、時間の定義など意味をなさない。それは恐ろしく、 “たった1日” が “永劫” とも思えることがある。「1日」‥ケースバイケースではあるが、それは人を死に至らしめるには充分な時間だ。
事の重大さに冷や汗を覚えながら、急いで私信を開く。そこには何があったのか詳細が綴られていたのが、その原因については扨措いて、すぐさま彼女にメッセージを返し、それから原因となったページを探す。
彼女の説明もあり、そのページは数分で見つかった。そこには彼女に対する誹謗中傷が多く並び、見ているだけで胃が痛む内容だった。私だったら立ち直れなかったかもしれない‥そんな心境の中、駆け込んでくれた彼女を “1日も” 待たせてしまったのだ。謝罪してもし切れない‥しかも、原因の内容(詳細)を調べる前に返信してしまったものだから、おそらく食い違った文章を送ってしまっている‥
最初のメッセージで、原因となった事柄のジャンルから、まず彼女の人格が否定されたわけではないことに胸を撫で下ろし、それから返信したのだ。しかし、見付けてしまった誹謗中傷は、そんな生易しいものではなかった‥
Una donna come un cigno
彼女に対して書かれた誹謗中傷は、彼女自身を否定するような内容も多く含まれていた。実際、彼女の人格を知っている人であれば、それが中傷(根拠のない悪口)であることは明白だと思う。しかし、言葉は時に人を死に至らしめるほどの力を持っている。たくさんの刃物を見ず知らずの人から一斉に向けられて、計り知れない恐怖と絶望を味わったことだろう‥そんな心境の中で送られてきた私信を見逃した私に言えることは何もないが、もし埋め合わせが許されるのであれば、させてもらいたい‥‥
しかし、(あまり、この言葉は使いたくないのだが‥)彼女は “強かった” 。先にブログの記事を読んだと書いたが、すでに立ち上がっていたのだ。しかも、「誹謗中傷を受けているのも、それは私が今この世に存在している」とまで書かれている‥どういうことだ?いったい、どれほどの精神力があれば “そういう解釈” になる‥いや、おそらく自分が同じような状況に陥った時、同じ言葉で自分を慰めるだろう。ただ、それは1日2日で会得できるような境地ではない。
しかも、彼女はガラス細工のような人間なのだ。繊細で、ストイックで、限界まで自分を磨き上げているような‥けれど、上昇することを止めない。ふと床に落ちて崩壊しないか見ていてハラハラするけれど、絶対に落ちない。
なんということだ‥また私は彼女を “見誤って” いた。いったい何度(無意識に)私を裏切れば気が済むのだろう‥おそらく、まだ絶望の淵を彷徨っているかもしれない。だが、もう前は見えているのだろう。
私が道標になろうと思い筆を取ったのに、ふと読み返してみると、私が先導されている‥すっかり “私が慰められている” ではないか。いい加減にしてほしい‥
さて、もう何が書きたいのか分からなくなっている。自分で読んでも支離滅裂な文章なのは明白なので、公開すべき記事ではないのかもしれないが、投稿ボタンを押すことにした。なるようになれだ。(どうにもならなくてよいが‥)
ただ、こんな女性がローマの片田舎で暮らしていることを、すこしでも多くの人に知ってもらいたい。彼女の人間性に触れることで、思考が研ぎ澄まされることだろう。彼女の茶目っ気のあるギャップにも、是非とも注目してほしい。
e-mail:honjitsunoippai@yahoo.co.jp
© Posted by taka :a
返信を所望される方‥が、おられましたらw【本館】にお越しください。
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